文人墨客に人気の宿、さか本さん。前から行ってみたい宿でしたが、奥能登と言われる能登半島の最北部にあるため、なかなか行けませんでしたが、松茸の季節なので金沢レクチャーのあと思い切って行くことに。
お客の半分は怒って帰る、代金を投げつけて帰ると言われる毀誉褒貶ある宿です。
到着すると玄関は真っ暗。呼べど誰も出てきません。柱にドラが掛かっていたので、それを鳴らすとようやく奥さんらしき方が。
館内の簡単な説明を受け部屋に。勿論、ウエルカムドリンクやスィートの類は一切ありません。部屋は屋根裏部屋のような場所で梁が斜めに通っているので頭上注意。
食事は7時からなので、それまでの時間はお風呂や読書で過ごします。ただし、お風呂は家族風呂サイズ。その代わり本館から離れた場所にパブリックなゲストハウスがあります。新しい建物でゆっくりくつろげます。
食事は定刻より15分ほど遅れて始まりました。里芋やシメサバの間に焼き松茸が。メインは松茸のすき焼き。ご飯は松茸ご飯ではなく、豆ご飯。
実は翌朝の朝食で松茸の土瓶蒸しと松茸ご飯が登場。
みなさん、この食事目当てに来訪するのですが、私たちにはちょっとはまりませんでした。お料理はどれも美味しく、繊細で仕込みも時間をかけているんだろうなぁと思います。でも再度、食べたくなる一品には出会えませんでした。
多くのお客さんが怒って帰るのはこのお料理ではなく、接客だろうと思います。おもてなしを感じさせる接客は一切なし。部屋は案内するだけ、お料理は出すだけ。こちらから話すまで宿の方が話すことはありません。部屋にはテレビもないし、歯ブラシさえありません。私たちは事前に知っていたし、それも楽しもうと心構えもできていました。でも知らずに人気だけで訪れた人は戸惑うかも。では何故、人気がたかまるのか。建物はシンプルで静謐、お料理は突き詰めた潔さを感じさせる。ほったらかしの接客も人によっては煩わしさが無く快適か。
しかし、実際に感じたのはそのシンプルさがすでに作為的にさえ思えること。宿側は必要最低限のことしかしませんよ、無駄なものは一切排除していますよというメッセージが目的化していないか? 本当は出来ることも、それをすると自分たちらしさが消えるからあえてしないでおこうという作為に思えてしまうのです。
まあ、ほったらかしが心地よい、ややMな方にはお勧めしておきます。